社会福祉法人コスモスがめざすもの

国民の権利としての、社会福祉の進歩を築きます。
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理事長のつぶやき

お米

2025.07.02

 お米が手に入らない時代が来るなんて思いもよらなかった…ですよね
 スーパーに並ぶお米が日に日に少なくなっていくとまだ家の米櫃にも冷蔵庫にも在庫があるのに 買っとこうかな!という気が起こる。そして手を伸ばすが、どこ置いとくねん!この暑さの中おいしくなくなるやろ!と手を引っ込めた。

 

 兼業農家だった実家では、毎年米を作っていた。幼少期最大家族数は9人くらいで暮らしていたから食料確保は大変だったと思う。米作りはまだ機械化されておらず、近所で助け合って田植えをし、稲刈りをした。馬が動力であった…どんな時代やねん!

 その後、減反政策が始まる。棚田とまではいかないが山手の田んぼ作業は過酷で大嫌いだった私は、田んぼだったところに柿や栗が植えられていくことを安堵の気持ちで見ていた。が、そうは甘くなくシイタケ栽培をする折には、原木を担がねばならない羽目になり、かよわい女子高生だった私は筋骨隆々に変身を遂げたのだった。減反嫌い!

 

 減反すると補助金が出る!新たな作物は出荷すればお金になる!など当時の農政に期待し米作りを手放したのも事実だろう。父親は、どんどん食料輸入を増やし国内の農業を縮小させようとする当時の政治に「百姓を馬鹿にしている!」と怒っていた。

 

 主食のコメが無い!米が無ければパンや麺類を食べればいいじゃないと声が聞こえる。
有事の危機感を煽り軍事費を増やす前に食料自給率の向上を目指してほしい。

 菅原文太さんが沖縄で語っていた『国民を飢えさせないこと、安全な食べ物(放射能汚染はだめだ!)を食べさせること。もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと!』

 

 あぁ、おなか一杯ご飯が食べられる平和を いつまでも

社会福祉法人コスモス

理事長 墨 光子